日本でベジタリアン/ビーガンは難しい?割合からみえる真実

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今でこそ、「自由に生きよう」「個性を尊重しよう」と言われる世の中になりましたが、やはり日本は今でも「協調性」が重要視されている社会です。もちろん協調性は時としてとても大事なことであり、震災時などは海外からの称賛の声が聞こえてくるほど、日本人の素晴らしい特質の一つですね。

しかし、「思いやり」「優しさ」といった感覚の協調性だけではなく、「右へならえ」「出る杭は打て」のような意味合いでの協調性…というよりも集団主義的思考は、決して平和的な考え方ではなく、この感覚は日本社会では今でも根強く残っています。

そんな社会で、はたして少数派である「ベジタリアン」を選択して、楽しく充実した生活が送れるのでしょうか?

意外と多い日本のベジタリアン

日本人でベジタリアンを選択している人の割合は4.7%。ビーガンに限定しても2.7%いるという調査結果があります。(2014年)(参考URL:https://en.wikipedia.org/wiki/Vegetarianism_by_country)

この数字を見て、「やっぱり少ない…」と思いますか?

しかし、「ビーガン(vegan)」の言葉の発祥地であるイギリスは、ベジタリアン3.25%でビーガンは1.05%です。日本の方が多いですね!(調査機関や時期が同じではないので単純に比較はできませんが…)

そして、ビーガン人口が増加中で、ベジタリアンメニューを導入している公立学校まで存在しているアメリカでも2017年時点でのベジタリアンの割合は13%、ビーガンに限ると7%です。

やっぱり日本より倍以上多いじゃないか!と思うかもしれません。しかし、アメリカでも5年ほどで急激にビーガンが増加しており、この傾向は日本でも同様です。アメリカまでとは行かなくとも、ビーガン率が3〜4%くらいに増えていても不思議ではありませんし、もっと多いかもしれません。

それより、意外と日本のベジタリアンが多いと思いませんか? 全人口のうち1割に満たない割合のライフスタイルであっても、片やベジタリアンが住みやすい国(地域)があって、片や難しい国があるのです。

ベジタリアンの外国人観光客の多くは、日本の飲食店に「ベジタリアン(ビーガン)オプション」がほとんどないことに驚き、困ってしまうそうです。ベジタリアンだと説明して「サラダ」を注文しても「ベーコン入りサラダ」がきた!なんてこともあるとか(汗)ベーコンはお肉ではないという認識なのでしょうか…これはまれな例です。よね?

「ベジタリアンです」は「変人です」!?

日本では自分とは違いすぎる食生活をしている人を、「自分とは違う人」ではなく「自分と違う変な人」とみなしてしまう傾向があるように感じます。

実際、私自身も、仕事で少しだけご一緒した人たちとの食事の場面でベジタリアンであることを伝えて注文をした際、とても驚かれ、言葉を失わせてしまったことがあります。少々年配の方たちであったので、よりその傾向が強かったのかもしれませんが、これが日本での現状かもしれません。

そうなってくると、なかなか「ベジタリアンです。」とは言いづらくなってしまいます。

意外にもベジタリアンの多い日本で、なかなかベジタリアンの存在が目立たないのは、「隠れベジ」が多く存在しているからではないでしょうか。本当は積極的にお肉を食べたくはないけど、誰かと一緒のときは仕方なく食べる人。好き嫌いの一つとして説明し、ベジタリアンだと伝えない人。

実際に、私も自ら積極的に説明することはありません。必要なときは「ベジタリアン(または菜食主義)」という言葉を使って伝えられるようになりましたが、それも慣れるまで時間が必要でした。今でも、なんとなく説明せずともお肉やお魚を避けた食事ができるときは、何も言わず動物性食品に手をつけないだけで説明はしません(大人数での立食パーティーなど)。

隠れたいわけではないけど、隠れたくなってしまう。隠れてるけど見つけてほしい、隠れミッキーのような気持ち…でしょうか。複雑ですね(笑)

「みんながやるなら。」という国民性

エスニックジョークというものをご存知ですか? 同じ状況下において、それぞれの国のひとがその国民性をもってしてどのような行動や言動をするのか、ジョークとして表現しているものです。
例えば、沈没船ジョークというものがあります。

様々な民族の人が乗った豪華客船が沈没しそうになる。それぞれの乗客を海に飛び込ませるには、どのように声をかければいいか?

アメリカ人に「今飛び込めばあなたは英雄ですよ」
ロシア人に「海に落ちたウォッカの瓶はあなたのものです」
イタリア人に「美女たちも泳いでいますよ」
フランス人に「決して海には飛び込まないでください」
ドイツ人に「規則ですから飛び込んでください」
イングランド人に「イングランドが優勝しました」
スコットランド人に「スコットランドがイングランドに勝利しました」
中国人に「金塊が沈んでいるそうですよ」
日本人に「みなさん飛び込んでいますよ」
韓国人に「日本人はもう飛び込んでいますよ」

引用元:wikipedia

あくまでジョークですし、また個人的な偏見によるものだと感じられますが、日本人の部分については私は大いに納得してしまいました。

周りと同じ行動を選択すれば安心。このような感覚は多くの人が持っていると思います。私も同じです。

食生活に限らず、何かの選択において少数派を選ぶときには、この「安心感」を手放す必要があります。この安心感は究極のところ「幻」だと思うのですが、やはりDNAなのか育った環境のためなのか、多くの人と同じなら安心 とか 多くの人の意見が正しい といった感覚を捨てるのは難しいです。

この国民性も、なかなかベジタリアンを考慮したものが市場に普及しない原因の一つかもしれません。

人は人、自分は自分

他人が自分と異なった外見であることは誰もが自然とわかっていて、そして受け入れているものです。

しかし、感覚、思考、体質といった内面については、違うということはわかっていても、それを無条件に受け入れている人は少ないでしょう。

私が「人は自分とは全く違う感覚、考え方のもとに生きているのが当然」ということをしっかりと受け入れられたのは恥ずかしながら最近のことです。すでに人の親になってからという社会的には「いい大人」な年齢になってやっと、しっかりと理解し実感するようになりました。

人との関わりや子育てから学んだ面もありますが、一番大きかったのは、「菜食」という特殊な選択をしたおかげだと思います。ここでは説明しきれないほど、迷い・悩み・考え・右往左往してきたために、

自分は自分でいいんだ☆と安心して感じることができるようになりました。

「正しい・間違い」 という評価は存在しません。どんなことでも一人ひとり違った答えを持っています。

正誤ではなく、「心地いいか悪いか」で一人ひとりが判断し選んで、互いに尊重し受け入れ合う関係が当たり前という考えを持った人たちが増えていけば、ベジタリアンの存在ももっと広まっていくかもしれませんし、ベジな人もそうでない人もいい関係を築いていけるのではないでしょうか。

柔軟性をもった社会になったらいいな

何かを変えたり、何かを生み出したりするために必要なことの一つは「(思考の)柔軟性」です。

今、顕著にビーガンやベジタリアンが増えているのは若年層。やはり、若い人の思考のほうが柔軟なのでしょう。

しかし、ベジタリアンのライフスタイルを選択するのが困難なのも若年層です。なぜなら親(保護者)に依存しなければ生活できないことがほとんどだからです。洋服や雑貨を動物性フリーにできても、食事については家族の理解・協力が不可欠です。

肉食をすることに疑問を抱いた若い人たちが、周囲の不理解のためにその思考を消し去ることがないように心から願います。

菜食を選択している人、したい人が意外にも多い日本。さらに、オリンピックも控えていて、これからもっと多くの外国の人々、多様なアイデンティティーを持った人々が日本に来ることになります。

「食」は生きる上でも、楽しむ上でもとても大事な要素です。もっと柔軟な選択ができる社会になって、日本の良さをもっと知ってもらえて、そしてあわよくば、もっとベジな人が増えたら…と密かに願っています(照)